人は、困難を笑うことで、生きてきた。

1、ことの発端

 

こんにちは!
わたしは普段、広告代理店に勤めているサラリーマンの増嶋 太志と申します。上を「ますじま」と読み、下を「ふとし」と読み、あわせて「ますじま ふとし」と読みます。なかなか珍しいもの同士がコラボした名前で、生まれて今日までの35年を、割とめずらしい名前の男として過ごしてまいりました。
よく、はじめましての人から「『ふとし』と言う割に、別に太ってませんね?」というような、やりとりを仕掛けてこられますが、わたしは毎回反応に困ります。
服を着ているせいか、見た目の印象だけで、そう思われる方がいらっしゃるのですが、実際はキューピーちゃんくらいの肉付きをお腹周りに持ち合わせております。

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服は着ずともマヨ命



キューピーちゃんは、これくらいの子ども特有の肉付きのよさがあり、そのなんともいえないフォルムが愛らしいわけです。そして真っ裸です。真っ裸にマヨです。マヨで隠すかと思いきや、隠しません。大変ないさぎよさです。企業の透明性をとても上品にPRできていると思います。

それはさておき、仮にもサラリーマンである増嶋太志がビジネスの場で、「名前の割に太ってませんね?」という質問に対する返答として、「キューピーちゃんのお腹周りです」という返答をしたとして、そのあとの展開が見えてきません。ましてや、漫画『ドカベン』の山田太郎くんのような体格の方が同席されている場合など、「体格のはなし」を持ち出すことも少し憚られます。

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米とおかずのバランスが規格外の弁当を食べる山田太郎くん

 

当然、「野球」の話をするでしょう。「高校時代は4番キャッチャーでしたよね?」と聞くでしょう。
そのような妄想から「名前の割に太ってませんね?」という質問には、基本的には「そうですね!」と答えます。「笑っていいとも!」の観覧席のごとく、快活な相づちを打ちます。

ちなみに、この「太志」という名前はわたしの父親が名付けてくれました。以前、生まれたばかりのわたしの手形が押された手帳を見つけました。その小さい手のひらの手形の下に、命名の理由」という項目があり、気になって読んでみると、そこには「こころざしをもって生きるように」といった内容の下に、「ふとっちょ」と一言書かれていました。
未だに理解ができないまま今日まで生きてきましたが、人の名前というのはいろいろな想いが込められているものだと感じます。そして「名は体を表す」の言葉のとおり、わたしのお腹周りは、適度に「ふとっちょ」ではないかと感じております。


さて、そんな「ふとっちょ」のわたしが今回こうして文章を書いているのは、青年失業家である田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。」を読んだことをきっかけに、じぶんも「読みたいことを、書いてみたい!」と思ったことがそもそもの発端であります。
そこで、まずはじぶんで「何について書こうか」と考えてみました。しかし、その「書けばいい」はずの「読みたいこと」が思い浮かばないのです。「書けばいい」はずなのですが、読みたいことがなければ始まりません。どうにかして、「読みたいこと」を見つけようとした結果、ときどき虚空を見上げるだけの1日を過ごすこととなりました。しかし、それでも「書き上げたあとの景色を見たい」というワクワクを留めることができず、「やっぱす、なんか書いてみてぇ!」というド田舎者風自己顕示欲が漏れ出してしまい、Facebookを通じて「何について書けばいいのかご提案いただきたい」と広く募らせていただきました。

田中さんの本のテーマでもある「じぶんが読みたいことを書く」からずれてしまうのですが、「特に読みたいものがじぶんにないということは、『なんでも読みたい』、つまり『なんでも書きたい』ということでもあるのかもしれない」と前向きに思ったわけです。ただあまりに漠然となんでも書くよりかは、テーマとして書くことがあるほうがなんかいいなぁと思っていました。
すると、友人である戸越 正路 氏(通称 まさみん)から「『ユーモアで流れを変える』というのはどうかな」と提案をもらい、「おもしろそうだから、それでいってみよう」と二つ返事で決定させていただきました。こういうことに付き合ってくれる友がいることに感謝しかありません。
LOVE まさみん。
そして、そんなやりとりをしていたのが、5月6日のGW最終日でした。
それから早2ヶ月の時が過ぎ、未だにわたしは「ユーモア」と格闘しております。

 

 

 

 

 

 

書くのって変態!


 

 

 

あまりの動揺で「大変」と書くところを「変態」と書いてしまいました。しかし、もはや「変態」です。きっと世にいらっしゃる物書きの皆さまは、揃いも揃って「ド変態」で、そんな「ド変態」たちが「大変」な想いをされて書き上げた「変態本」などを、我々庶民は「あぁ」とか「うむ」とか言ってその「変態性」を感じながら読んでいるのだと思ったわけです。ということで、どうやったらあんなにすばらしい文章が書けるのか、これはもう「変態」でなければ書けないだろうという結論に達しました。
しかし、ここで終わってしまっては、一体わたしは何をしているのか、わからないことになります。

これまた、「珍種の変態が見つかった」ということで、長く後世に語り継がれることになります。
それでは、これから書く男としてもがんばっていきたいと思うわたしにとっては、不徳の致すところです。わたしも変態の端くれとして、かつてない渾身の力で挑むしかないと改めて誓い、心新たにパソコンに向かいました。できることなら、しばし、お付き合いいただければ幸いです。

そんなわけで、この「ユーモアで流れを変える」というテーマですが、

 

 

 

 

 

むずぅ!

 

  

 

 


どうかしてしまうくらいに厄介です。「LOVEまさみん」からもらったテーマの提案に「おもしろそうだからそれでいってみよう」と二つ返事で乗っかりましたが、じぶんの判断を呪いたくなりました。
そうなのです。調べてみたのですが、歴史的な出来事などで、「ユーモア」を使って何かを変えた、みたいなことがありそうでない。ありそうなんだけれど、「ユーモア」として「意図的に何かをやって変えたぜ」ということがなかなか見つからないのです。
再び、途方に暮れた5月。「これが5月病というやつなのだな」と初めての5月病に新鮮さを感じていたのですが、そういえば、「ユーモア」とは一体なんだろうと思いました。

 

 

 


2、「ユーモア」とはなんだ?

 

 

「ユーモア」と聞いてみなさんは何を思い浮かべますか?

「楽しい」とか「おもしろい」とか「笑える」とか基本的にポジティブなイメージを思い浮かべるかと思います。ユーモアは「できる男の嗜み」なんて言われることもありますし、女子はユーモアのある男に惚れるということを知っています。別に何かで調べたわけではなく、わたくしの本能がそう言うております!

それとは別に、「あの人はユーモアがある」とだれかに伝えることは、「おもしろい人」や「愉快な人」という意味として使うことだと思っています。
しかし、何をもってしてユーモアのある人間なのかというのは、なかなか簡単に答えられないところがあるような気がします。

 

単純に「おもしろい人」といえば、わたしはじぶんの父が真っ先に思い浮かびます。父は日頃からおもしろいことをしようとしているわけではないにもかかわらず、その言動がわたしの想像の上をいきます。

たとえば、ある日、実家に帰ると、「ラジオを聞いていたら、クロコダイルの財布が1万円で販売されていたので買った」というヘンテコな話を父から聞かされました。気になって財布を見せてもらうと、その財布はどう見てもワニ皮には見えない明らかな合皮でできており、ワニの背中をなんとか表現しようとしてなのか、トゲのように合皮をせり立たせた突起でゴツゴツ感を無理やり演出していました。これではズボンの後ろポケットに入れることすらままならないです。また、お店などでの支払いの際、財布を見たら店員さんも驚いてしまう可能性があるため、「今からかなりイカツイ財布を出します」と財布を出す前に一言添える必要があるでしょう。
それにしても、「ラジオで聞いたイメージだけで財布を買う」というのは、ずいぶん難易度の高い買い物です。
世の中にはわたしの知らないこと、想像も及ばないことが行われているのだと、クロコダイル・ダンディー」な父の行動を通して感じさせてもらいました。それでも、じぶんの父親だからなのか、その行為も含めておもしろく感じてしまう、笑ってしまう。わたしの父はそういった人生を図らずも送っているわけです。これはこれで幸せな人生だと、わたしは息子ながらに思ったりしています。

そういうことからも、「ユーモア」の「おもしろさ」というやつは、お笑い芸人のような「笑わせるおもしろさ」だけでもないような気がしたのです。もっとこう誰にでもありそうな、匂ってくるようなものも「ユーモア」なのではと思ったわけであります。

そんなわけで、ユーモアとは何かを調べたいと考えたわたしは、まず意味を調べようと思いました。
突然ですが、わたしはその昔、国語辞典を持ち歩いている一風変わった男でした。それは「わからない言葉があったら、電子辞書でなく、ちゃんと辞書で調べるといいよ」と風のうわさで聞いたことがあるからでして、その風のうわさは「調べた言葉にマーカーで線を引くといいよ」と、わたしの耳にそっとささやいてきたのです。
真面目さと素直さと心強さを誇るわたしは、案の定、その風のうわさの言葉を鵜呑みにして、辞書をもって出歩きました。もちろん「風のうわさ」は「辞書を持ち歩け」と一言も言ってないです。しかし、拡大解釈をするわたしは、辞書とともに動こうと思い、しかし辞書はじぶんでは動かないゆえ、持ち歩くことに決めたのでした。そして、何かわからない言葉があると、これ見よがしに辞書を開き、調べ、黄色のマーカーで線を引き、「これでまた一つ、言葉を知ってしまったぜひぃ」と遠い目をしていました。
辞書というのはすごいです。たくさんの言葉と意味に溢れています。その「たくさん」の反動のせいか、極めて重量があります。常に持ち歩くようなものではないのです。どこかに設置しておくべきものなのです。
そんなことに気づいたある日、インターネットの普及に飛び乗ったわたしは途端に辞書を持ち歩かなくなりました。
何か知りたいことがあれば辞書を開く時代から、インターネットで検索する時代がわーっと押し寄せてきたわけです。今思い返しても、辞書で意味を調べていたころがとても懐かしく感じます。今何を覚えているわけではないけれど、たしかにあのときじぶんが辞書を引くたびに、「また一つ、おれは言葉の意味を覚えてしまったぜひぃ」と感じていたのだと思います。
そして、地平線を眺めるように遠い目をしていたのだと思います。

それはさておき、「ユーモア」について調べていきたいと思います。まずは、独特な解釈による表現で多くのファンをもつらしい『新明解国語辞典における「ユーモア」の意味はこうです。

 

社会生活(人間関係)における不要な緊迫を和らげるのに役立つ、婉曲表現によるおかしみ。

(矛盾・不合理に対する鋭い指摘を、やんわりした表現で包んだもの)

 

鋭い指摘をあえて柔らかく表現するというものがユーモアであれば、国会にでている議員の方々の質疑や答弁にはユーモアが皆無ということになります。議員のみなさんは真剣に話しているのですが、そのやりとりを観ていると「おかしさ」を感じるところが散見されます。真剣であればあるほどおかしいときもあります。あれはなんなのでしょう。寝ている人もいれば、鼻毛が出ている人もいます。
あれはなんなのでしょう。わたしなんかは、「鼻毛が出ていることは死を意味する」と捉えています。

 

 

「お前はもう右から鼻毛出ている。やから死んでいる」です。

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「お前はもう右から鼻毛出ている。やから死んでいる」と言っている、ようにも見えるケンシロウ



ケンシロウがいつにも増してドヤ顔です。右の鼻の穴を指さしているのでしょうか。だからこそ、出る鼻毛は抜き去ります。
この姿勢さえあれば、境界を越えてご挨拶する鼻毛をさらすことは回避できると思っています。


続きまして、大辞林における「ユーモア」はこうなっています。

 

思わず微笑させるような、上品で機知に富んだしゃれ。

ヒューモア。ヒューマー。フモール

 

これまで「ユーモア」ということばを漠然と「おもしろさ」という意味で使っていたのですが、『大辞林』の解釈では「上品で機知に富んだ」という「知的なおもしろさ」を指すようです。

 ヒューモア、ヒューマー、フモールとは別の読み方でしょうか。「ヒューモア、ヒューマー」まではわかりますが、「フモール」までいくと、限りなく遠く感じます。母方のひぃおじいちゃんのお兄さんの次男の息子の友達が飼っているプードルみたいな、もはや他人です。
他犬です。
いや、そこまで遠くはないかと思いながら、今度は百科辞典日本大百科全書(ニッポニカ)』で、「ユーモア」について説明されている文章から一部を抜粋してみます。

 

もとは古代ギリシア以来の西欧の古典的医学用語で「体液」を意味するフモールhumor(ラテン語)に由来する。
近代になってしだいに気質、気分、とくに滑稽さやおどけへの傾向性のある気質の意味で使われるようになり、そこから現在の意味が生じた。

 

フモール」はプードルだと妄想していたところですが、ラテン語で「体液」という意味であることを知りました。この「体液」の話はお茶の水女子大学の名誉教授である外山滋比古さんの著書『ユーモアのレッスン』にわかりやすく記されています。

 

もとのもとをたどると、ギリシアの大医ヒポクラテスに行きつくのです。ヒポクラテスは四体液説を創めたと伝えられます。すなわち、血液、粘液、胆汁、黒胆汁です。人間の体はこの4つの体液からできているというのです。それらがうまく調和しているとき、人間は健康でいられる。ところがその中のどれかが過多になると、特異体質になります。そんなところから、だんだん人間の特質という意味合いが濃くなります。やがて、気質そのものをあらわすようになります。

 

なるほど。人間には大切な4つの体液があり、最初はそのこと自体を「ユーモア」は指していました。しかしそこから、人間の気質自体を表していくことに繋がっていったというわけです。そのもとをたどると、あのヒポクラテスさんに行き着きました。

 

 

 

 

 

すいません、どなたでしょうか?

 

 

 

 

というわけで、調べてみると、ビジュアルはこんな人でした👇

 

 

 

 

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ヒポクラテスさん

  

筋斗雲くらい猛烈な髭。

 

あごと髭の境目がわからないくらいの筋斗髭のヒポクラテスさんは「医学の父」と言われるくらいすごい大医だったそうです。

そしてそして、『ユーモアのレッスン』ではこう続きます。

十七世紀のイギリスの劇作家ベン・ジョンソンは”気質喜劇”と言われる作品を残しています。特異な気質が笑いを誘うのです。変わった人間のおもしろさ。ここでユーモアははじめて、おかしみ、おもしろさというものと結びつくことになります。思いがけないことばの変化といっていいでしょう。

ユーモアはさらに一段と飛躍して、そのような特異なものにふれて生まれる笑い、おかしみ、そのものを呼ぶように変わり、今日のようなユーモアの意味にたどりつくという次第です。


というわけで、「ユーモア」はもともと「フモール」という言葉であり、「体液」という意味だった。そこから、「思いがけないことばの変化」により「特異なものにふれて生まれる笑いやおかしみ」という意味へ変わっていったと外山さんは述べていらっしゃいます。なるほど。かろうじて、「ユーモア」のしっぽをつかんだような気分です。
ここまで、「ユーモア」について調べていたら、「そういえば!」と思い出しことがありました。

いざ、フモール

 

 

 

 

3、浜じゃないほうの話


思い出したというのは、喜劇王チャーリー・チャップリンです。
こんなふうに「チャーリー・チャップリン」と聞くと、よしもと新喜劇に出演されている「チャーリー浜」さんとどれくらい関係しているのかが気になった方も、多くいらっしゃるかと思います。

 

 

 

 

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髭をどうかしたチャーリー浜さん

 

ウィキペディアによると、チャーリー浜さんは「アメリカのテレビドラマ『チャーリーズ・エンジェル』にちなんで改名。」されたそうで、「チャップリン」よりも「エンジェル」のほうと関係があるようです。チャップリンとの共通点は髭くらいです。ごめんくさい。

改めて、ここではチャーリーはチャーリーでも、浜じゃないほうの話をさせていただきます。

 

 

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ひょっこりチャップリン



わたしがチャップリンを正式に知ったのは、大学の「映画論」の講義がきっかけでした。毎回、名作映画を視聴するという映画好きの学生にはたまらない講義で、「楽に単位とりたいわい」なんつって油断しまくる学生もこぞって受講しておりました。もちろんヘビー級の記述テストが最後の講義にちゃんとありました。(舐めちゃいけないね!)
「三度の飯と映画が好き」だったわたしはこの講義を毎週楽しみにしていたのを覚えています。

担当の講師は吉村英夫という先生で、吉村先生の映画に対する情熱は本当に凄まじかったです。講義では限られた時間の中で映画1本をまるまる視聴するため、先生が話をする時間はわずかだったのですが、その短い時間で映画にまつわるエピソードを怒涛のごとく話されていました。そのエピソードがとても魅力的だったのがとても印象に残っていて、わたしはこの講義を通じて映画の奥深さやおもしろさと一緒に、チャップリンを知りました。あわせて、「お昼ご飯のあとの暗闇は睡眠薬と同じ効果がある」ということも知りました。(ありゃ勝てん!)

さて、チャップリンの『独裁者』という映画は、当時のドイツの指導者であり、ユダヤ人虐待などを行ったアドルフ・ヒトラーの独裁政治を、チャップリン渾身のユーモアで批判した作品です。
この作品でチャップリンは制作・監督・脚本・作曲・主演(一人二役)の一人六役をこなしています。これは掃除・洗濯・パート・買物・料理・後片付けを一人でこなすスーパーおかあちゃんのような働きっぷりなわけです。世のすべてのおかあちゃん、本当にありがとうございます。


さて、当時からチャップリンヒトラーは同じ髭をもつ似た風貌からメディアでよく比較されたそうです。

 

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チャップリンヒトラー メディアとイメージの世界大戦』大野裕之

 

 

めちゃめちゃ似てるがな!

 

  

 

すごく似ています。生き別れの兄弟くらい似ています。大野裕之さんの著書『チャップリンヒトラー メディアとイメージの世界大戦』の表紙にも使われていますが、このイラストは当時の雑誌の表紙として描かれていたそうです。

おもしろいことに、この二人は生まれた日も4日違いです。さらには、大野さんの著書によると、「まったくの偶然でほとんど同時期にお互い知らずに同じ髭をつけ(生やし)始め、それぞれ笑いと独裁者を象徴する世界的なイメージとなったのだ」そうです。
そんな同時代に奇跡的に現れた二人の髭男(ヒゲダン)なのです。


ちなみに、大野裕之さんとは、日本チャップリン協会の会長でいらっしゃいます。わたしが読ませていただいた著書『チャップリン 作品とその生涯』では、大野さんご自身の写真も掲載されているのですが、髭はまったく生やされておりませんでした。むしろツルスベでした。
そんなお肌ツルスベな大野さんの著書を読み、書かれていることをめちゃくちゃ参考にさせていただき、この映画『独裁者』の制作状況についてまとめてみました。

チャップリンヒトラーを題材にした映画『独裁者』は制作前から、その情報がヒトラーにも伝わっていたようで、1939年1月30日の国会演説において、反ナチスの映画をつくるんじゃないよ!と言う意味合いの批判をしました。
そんなわけで、ハリウッド映画業界もチャップリンの『独裁者』の制作に反対しました。ハリウッド映画は輸出産業なので、海外市場を失ってはヤバいと考え、ドイツの検閲に引っかからないように、ナチスの言いなりになっていたそうです。そして、アメリカ世論のかなりの割合がヒトラーを支持していたというのにも驚きです。
アメリカでの制作中止を求める声が日増しに増えていく中、1939年3月には、チャップリンが風邪を引いて撮影所に姿を現さなかったことを根拠に、多くのマスコミが「『独裁者』制作を断念」と報じたそうです。

それに対して、チャップリンはすぐさま、

 

 

「おれ、やるよ!」という意味合いの声明を発表しました。

 

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「おれ、やるよ!」なチャップリン

 

 

そして、1939年9月、ヒトラーのドイツがポーランドに侵攻して、第二次世界大戦が始まったその月に、チャップリンも映画の制作を始めました。
それから1年後の1940年10月、ドイツがパリに入城しフランスを屈服させた日の翌日。まさにヒトラーが人生の絶頂にいた時期に、チャップリンの映画『独裁者』は完成したそうです。
あらゆる妨害や抵抗に屈することなく、約1年に及ぶ制作期間を経て、チャップリンは映画を作り上げました。不屈の男チャップリン。「ユーモア」というか、もはや気合と根性。
気合と根性とチョビ髭の男!

そんなチャップリンの映画『独裁者』は、公開するやいなや、アメリカ、イギリスを初め各国で記録的ヒットとなり、それまでのチャップリン映画の中で最高の興行収入を記録しました。そして本作が大ヒットを記録した1941年を境に、ヒトラーの演説回数は激減したそうです。
多い時は1日3回も演説していたヒトラーですが、1941年で行った演説は1年で合計7回。大野さんは「チャップリンの映画で「笑い」にされたことで、ヒトラーの演説は力を失った」と書かれています。


当時は今の時代のように媒体もたくさん種類があるわけではなく、映画がもつ宣伝効果はものすごい力があったそうです。ヒトラー自身もその映画の力を使い、じぶんの演説を撮影した映像を映画館で流して人々を扇動し、ナチスの権力を拡大していきました。その一方、同じ映画という舞台で、チャップリンは自らの信じるユーモアを駆使して、ヒトラーファシズムに立ち向かったのでした。

1940年10月19日付の英国の「デイリー・メイル」紙掲載の「『自由のために』に作られた彼の映画」というインタビュー記事に、チャップリンの言葉があります。

 

 

コメディとペイソスは密接に結びついていて、両者を分けることはできません。多くの人から「どうやって痛ましさや人々の苦しみからコメディを作れるのだ? どうやって世界のもっとも大きな悲劇を笑うことが出来るのだ?」と聞かれます。私はこう説明します。私達が生き延びることができる唯一の方法は、私たちの困難を笑うことなのです、と。

 

 

 

チャップリン、めちゃくちゃかっこよし!

  

 

 

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素顔は超ド級の男前チャップリン

 

  

今回この「ユーモアで流れを変える」というテーマに対して、「なかなかそんなものは見つからない」とか「ムズい!」などと、ちょっと調べたくらいでわたしは冒頭に愚痴を書き散らし音を上げそうになりました。しかし、少しずつ調べていく中で、人類誕生から今日まで人が生きてこれたということは、チャップリンの言葉を借りるなら、「どんな状況であっても笑ってきたから」なのかもしれないと思ったわけです。悲しすぎる出来事やどうしようもない事柄を目の前にしたとき、人はあまりにも無力で、何もできることがないように感じます。それは一つの事実なのかもしれませんが、それでも今日までこうして人は命を繋いできました。
つまり、「ユーモアで流れを変える」ということは、その「変えてきた流れ」の大小は様々ですが、世の中のいたるところで起きているような気がしたのです。
悲劇の裏には喜劇があり、その逆もまた然りで、人類の歴史とは、下を向きたくなるようなことばかりだけれど、どうにかこうにか笑うことで、上を向いて歩いてきた歴史だと言っちゃいたくなる。「言っちゃいたくなる」ところで今回はやめときます。

そんなわけで、今回チャップリンを中心に、ヒトラーヒポクラテスさん、そしてチャーリー浜さんの4人の髭男たち(Not Official髭男dism)について触れながら、「ユーモア」について考え、「ユーモアで流れを変える」ということについて書いてみました。かつてないほどの勢いと熟考を経て書きましたが、みなさまのお口にあえば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!